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「ミケランジェロの空」

住宅建築 2019年6月号

P76~87に特別記事として掲載
16世紀のルネサンス後期に彫刻や絵画で活躍したミケランジェロは、建築家としても活躍し、貴重な作品をいくつか残しています。
その中でも、サン・ロレンツォ教会のメディチ礼拝堂とラウレンツィアーナ図書館を主に取り上げ話をしています。また冒頭では、イタリア・ルネサンス建築の代表作品にも触れ、自身が撮影した写真と共に解説しています。

「五本柱建物」

住宅特集 2017年4月号

*P70〜P77に掲載
(以下、雑誌掲載文より)
住宅における中心の場の再構築
敷地は昔からの大地主が多く、まだ開発途中で密度が低い周辺環境にあるが、大きなひとつの土地を4分割したため、分割された敷地の隣家が境界まで迫っているような状況である。このような中、まず家族の「中心の場」を4本の柱で構築した。そしてその少し外側に、外界との距離を調整する緩衝空間としてさまざまな個室を配置し、中心を取り囲む。
個室はL字型などかたちも大きさもさまざまで、天井高も多様に変化することで、1階の天井と2階の床はいろいろな高さの段差を生み出す。乳白色のポリカーボネイト波板を通して、中央の空間と個室は適度に干渉し合い、またその境界壁にはさまざまな開口が空けられることで、住宅内のどこに居ても中央の空間が意識される。中央の空間は、ポリカーボネイトの素材感も手伝い、内部でありながら外部のような場所となり、都市のような様相を醸し出す。
家族の意味を問う5本目の柱
日本の歴史的な建築では、民家においても社寺においても、柱の本数と配置が象徴性を含む重要な意味をもってきた。平面中央に4本の柱を建て、中心の場をつくることは、民家における竪穴式住居の四本柱や社寺における四天柱のように「確かなるもの(世界)」の構築であり、最も初源的な空間づくりのひとつである。そして、構造や機能とは全く無関係の5本目の柱という「不確かなるもの(要素)」を導入することで、住宅と、現代の家族のあり方を再構築できないかと思った。
柱は物理的に何かを支えるためだけに存在するのでなく、精神的にもそこに存在する。個人に対応する1本1本の柱の存在は、それらが4本をもって初源的に架構を組むことで(安定した)全体を確保し、また、中心を生み出すことで家族の存在を想起させる。5本目の柱は、家族というものの求心性を暗示しながらも、中心において不安定な宙づりになることで、それが不確かな存在であることを指し示す。そして安定した確かなる世界に疑問を投げかけ、家族という存在を「確かなもの」と「不確かなもの」の間に漂わせる。
「五本柱建物」において人は、柱に対峙することで他人、そして家族という全体を感じ求め、最終的には自分自身の存在を再確認するのである。
5本の柱は、家族という枠組みが解体されつつある現代において、いわゆる象徴を超えた新たな家族の意味を再構築していく拠り所となるに違いない。(大松俊紀)


「続・柱と建築」

住宅建築 2016年4月号

続・柱と建築 虚実皮膜の向こうへ
2014年10月号「特集/柱と建築」では、古代〜前近代までの建築の柱を、社寺と民家それぞれに対して「象徴」と「技術」という二つの側面から追った。社寺の柱は象徴的要素から、民家の柱は技術的要素から出発しながらも、近世という大衆化の時代に向かって、お互いが引寄せられ、交差していく流れは大変興味深いものであった。そして今回、近現代の柱を読み解くにあたり、「象徴」と「技術」というキーワードは、「精神性」と「仮設性/永遠性」へと発展させた。現代において、建築が歴史的連続性を希薄にしつつあるのと同時に、柱がその意味と存在を失いつつある。近代に入り邪魔もの扱いされ解体された柱が、現代に向けてどのような解放と、再構築を繰り返してきたのであろうか?

現代における柱型住空間への提言
柱の「開かれ」を求めて  文=福島加津也

「SH-30」  設計=広瀬鎌二

柱の意味を解体する① 仮設性│永遠性
柱の技術から、壁の消去と空間の透明性を見る  文=福島加津也

柱の意味を解体する② 象徴性│精神性
柱の形式性がわれわれの“現代病”を克服する  文=大松俊紀

「呉羽の舎」  設計=白井晟一研究所

柱・その単独性と共同性 文=中谷礼仁

起点としての柱 文=六車誠二

木造軸組構法のプレファブリケーション
「PA-1」  設計=六車誠二建築設計事務所

四本の天竜杉が棟を支える
「四本柱建物」  設計=大松俊紀アトリエ

建築の原型を日常に組み込む
「柱と床」  設計=福島加津也+冨永祥子建築設計事務所

                       (以上、住宅建築WEBサイトより)


「柱と建築」

住宅建築 2014年10月号

柱と建築 ~「象徴」と「技術」から柱の意味を問い直す 古来、柱とは天と地をつなぐ「象徴」であり、柱を立てることから発展した「技術」が、日本の建築を支えてきましたが、近年、建築空間で柱の存在は希薄になりつつあります。本特集は、柱の原初の姿へ遡りながら、「社寺建築」「民家」のふたつのアプローチからその意味を問い直します。「象徴」「技術」「社寺建築」「民家」というマトリクスの交点に位置する「長寿寺本堂」「旧広瀬家」を中心に、三内丸山遺跡から篠原一男の住宅までを射程に振り返ります。

柱の解体と再構築 文=福島加津也


長寿寺 本堂 鎌倉時代前期/滋賀県湖南市
旧広瀬家住宅 江戸時代前期/山梨県(現在:川崎市立日本民家園)

転換点を示す二つの事例 文=後藤治

柱の意味を解剖する① 象徴としての柱
象徴化と脱象徴化を繰り返すことによるその意味の変容 文=大松俊紀

柱の意味を解剖する② 技術としての柱
空間フレームの歴史的な流れを手がかりとして 文=福島加津也

鼎談 日本建築における構造の本質とは
……山田憲明 × 大松俊紀 × 福島加津也

合理と非合理を超える柱を求めて 文=大松俊紀
(以上、住宅建築WEBサイトより)

「篠原一男の住宅」

住宅建築 2011年2月号〜2012年12月号

全11回のシリーズ。
(故)建築家・篠原一男が設計した住宅を実際に訪れ、建築写真家・西川公朗による現在の様子を写した写真と共に紹介し、篠原一男の住宅を最解釈しようとした連載。
また、建主へのインタビューと建主所有のオリジナル図面も同時に掲載されている。

(掲載住宅)
城山の家 (1961) ー 2011年2月号
土間の家 (1963) ー 2011年2月号
同相の谷 (1971) ー 2011年6月号
海の階段 (1971) ー 2011年8月号
上原曲り道の住宅 (1978) ー 2011年10月号
糸島の住宅 (1976) ー 2011年12月号
白の家 (1966) ー 2012年2月号
花山北の家 (1965) ー 2012年4月号
花山南の家 (1968) ー 2012年4月号
花山第3の住宅 (1977) ー 2012年4月号
花山第4の住宅 (1980) ー 2012年4月号
鈴庄さんの家 (1968) ー 2012年6月号
大屋根の家 (1961) ー 2012年6月号
谷川さんの住宅 (1974) ー 2012年8月号
上原通りの住宅 (1976) ー 2012年10月号
*最終回 (まとめ) ー 2012年12月号

「16th DOMANI・明日」展

文化庁

文化庁主催で毎年行われる文化庁芸術家在外研修員の成果を展示する展覧会のカタログ。 16回目の今回初めて、これまでさまざまな国に派遣されてきた建築家が招聘され、最近の活動内容の展示を要請された。出品したのは、総勢44人の建築家。